偏差値ランキングと大学の序列が一致するのは自明か?

大学のランキングとかありますよね


〔SⅠ〕東京大・京都大
〔SⅡ〕一橋大・東京工業大・大阪大
〔SⅢ〕東北大・名古屋大・神戸大・九州大・慶應義塾
====================高学歴(2ch基準)=======================
〔AⅠ〕北海道大・筑波大・横浜国立大・東京外国語大・早稲田大
〔AⅡ〕千葉大・東京農工大・お茶の水女子大・大阪市立大・国際教養大
〔AⅢ〕広島大・岡山大・金沢大・東京学芸大・名古屋工業大・京都工芸繊維大・首都大・名古屋市立大・ICU・中央(法)
=======================================================
〔BⅠ〕熊本大・新潟大・奈良女子大・電気通信大・大阪府立大・京都府立大・横浜市立大・東京理科大・上智大
〔BⅡ〕静岡大・滋賀大・信州大・埼玉大・三重大・小樽商科大・神戸市外国語大・立教大・同志社大
〔BⅢ〕長崎大・岐阜大・大阪教育大・京都教育大・九州工業大・兵庫県立大・明治大・関西学院大・青山学院大
====================高学歴(大卒基準)==============================================
〔CⅠ〕山形大・香川大・鹿児島大・愛媛大・山梨大・東京海洋大・静岡県立大・埼玉県立大・北九州市立大・都留文科大・中央大(法以外)・立命館大
〔CⅡ〕岩手大・富山大・徳島大・山口大・和歌山大・宇都宮大・高崎経済大・愛知県立大・新潟県立大・法政大・関西大・学習院大・津田塾大
〔CⅢ〕福島大・福井大・弘前大・宮崎大・高知大・群馬大・茨城大・高知大・県立広島大・熊本県立大・長崎県立大・南山大・芝浦工大
====================高学歴(世間基準)=================================
〔DⅠ〕秋田大・大分大・鳥取大・島根大・佐賀大・前橋工大・高知工科大・宮城大・奈良県立大・滋賀県立大・下関市立大・福岡県立大・成蹊大
〔DⅡ〕室蘭工大・北見工業大・琉球大・会津大・明治学院大・武蔵大・成城大・國學院大・西南学院大・東京女子大
〔DⅢ〕獨協大・近畿大・駒澤大・東洋大・専修大・京都産業大龍谷大・日本大・甲南大・日本女子大・京都女子大
=================(大学と呼べる境界)========================
〔EⅠ〕大阪経済大・北海学園大・東北学院大・東海大・帝京大・玉川大・名城大・東京電機大・松山大・亜細亜
〔EⅡ〕北星学園大・桜美林大・神戸学院大・東京経済大・拓殖大国士舘


こういうの

このランキングは2chで評価されてる大学ランキングなんですけど、世間一般での評価と大差ないと思います。
これとは別に大学の偏差値ランキングを作っても、学部によって多少の差はあれほぼ同じ順序になっています。


いい大学の方が偏差値が高い、というと当たり前のような気がします。「いい大学だから偏差値が高い」のであって、「偏差値が高いからいい大学」ではない、と。
僕の浅知恵でも、いい大学→人気が出て倍率が上がる→偏差値up のようなメカニズムで最終的には「いい大学」の順に偏差値が高い状態が平衡状態になる気がします。


ただ、どうも体感的には逆で、「偏差値が高いからいい大学」の方が合ってる気がします。つまり 偏差値が高い→偏差値の高い学生しか入れない→賢い学生ばかりのいい大学 っていう方が体感的にしっくりきます。というのも、例え勉強がよく出来る子でも高校生って大学をきちんと比較して選ぶ人ってそんなにいなかったと思うんですよね。というか偏差値高い子の方がそういう傾向が強い気がします。

で、そういう子が選ぶ大学は自分の学力で入れる最高の偏差値の大学になるわけで。その結果として大学の偏差値の高さがそのまま入学してくる学生の優秀さに直結し、優秀な学生が卒業していくことでいい大学としてさらにその立場を強固にすると。
なんかそれっぽい


この話のすごいとことは大学での教育の優劣を全く考慮してないことですけど、実際ある程度以上の大学なら教育に差なんてないし問題ないですよね。実際、教育改革なんたらのやることが大学教育の改革じゃなくて大学入試の改革だったし

努力でどうにかなるラインってどこだろう

為末さんが 産まれと才能 > 努力 って言ったことで批判とかされてました
曰く、「身も蓋もない」「道は努力で切り開くもの」だそうで
でも批判してる人たちも為末さんの言ってることが正論だとは認めてます
アスリートの世界で頂点に立つには努力だけでなく才能も必要である、と

ならば逆に才能がなくても努力だけで到達できるラインってどこらへんなんでしょう?
完全な僕個人の主観ですが、競争する集団の中で上位20%くらいが努力で到達できるラインなのかなーと思います
偏差値で言うと59くらいですか

大学受験で言うとマーチくらい
適当な数字だったけど割と妥当かもしれない

ちょっとテストの点が良かっただけでガリ勉とか言われるあれ

<国公立大入試>2次の学力試験廃止 人物評価重視に (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

かなりインパクトのあったこのニュース

これに関しては批判以外見たことないんですが、僕が最初にこのニュースを見たとき感じたのが、学力偏重からの脱却はいいとして、なんで学力試験を廃止する必要があるのかってことで

入学試験を学力だけでなく総合的な判断とやらをするのにどうして学力試験をとっぱらう必要があるでしょ 両方やったらいいじゃん
まさか現行の学力試験では高校3年間を勉強のみに捧げたガリ勉君しか国公立大学には入れないとか思ったんですかね

あれですか、中学とかでちょっとクラス1位とかになっちゃったら影で「どーせあいつ友達いないし部活もしてないから勉強しかすることないんだぜ」とか言われる系のやつですか

いや別に勉強しかしてないわけじゃないですし

ってか友達くらいいるし

まあそれは置いといて、要は勉強しなくても大学に入れるようにするってことでしょ
高校生が勉強する最大のモチベーションは大学受験なのに、それを奪うってことは高校生が勉強しないようにしたいとしか思えないよね

教育再生実行会議じゃなくて教育破壊実行会議って名前に改名するのが正しいのではないでしょうか

就職活動で重宝される人材は要領のいい学生だろうけど、そいつにはノートを見せてくれる友人が必要だよね。

途中からよくわからんくなったけどこのまま投稿

 

会社でも、っつか会社だからこそ要領のいい人たちだけでは回らないんじゃないのかな。

イケメン美女集団とか言われたなんとかエージェントにも俺らの仲間みたいな人が紛れてるみたいだし

http://itaishinja.com/archives/1104181.html

やっぱり多様性とか役割分担とかそういうのなんでしょうね。

 

企業の求める人物像が超ハイスペック過ぎワロタみたいに言われてたことがあったけど、企業の方でも流石にコミュ力とリーダーシップと責任感と専門性と論理性と国際感覚とバイタリティとチャレンジ精神を全て一人で兼ねるのは無理と思ってるはず。

だから、採用する新人でこれらを役割分担させられるような採用計画を立ててタイプ別に~~タイプ何人みたいな枠があるんじゃないかな。

企業はいろんなタイプの学生を欲しがるはずだから、学生は各々自分の強みをアピールすれば就活うまくいくってなったら理想ですね。

 

まあところが、企業の求める人物像のタイプ別の割合と、学生の中での当てはまる人物の割合に差があるから、一人で内定を複数社持ってる人がいたり、卒業時点までNNTの人が出るんでしょう。

例えば、人物像を簡単に4つ(リア充、キョロ充、真面目、真面目系クズ)に分けたとき(MECE?知らん)

学生の中にこれらの生息する割合は 3:3:2:2 くらいかな。適当

これに対して企業の採用予定枠の定員の割合が 6:1:3:0 だったりするわけです。

こんな状態だと、リア充や真面目君が複数社の内定を手にする一方で、薄っぺらいキョロ充や真面目の皮を剥がされたクズがNNTでいろいろ終わるのが想像に難くないですね。

 

で、こういう採用枠って話を考えたときに、昔聞いたとあるテニサーの話を思い出しました。

そのテニサーってのがテニサーの例に漏れず飲みサーのヤリサーらしいんですが、そのサークルのセレクションと呼ばれる新人の選別が、上のキャラ別採用に通じるものがありました。

そのサークルでは女の子(鴨)は誰でも入れるそうなんですが、男の子の方は毎年新人が10人しか入れないそうです。(全学年合わせて100人は超えるサークル)

毎年選ばれし10人のみがあまーい汁を吸えるということですね。けしからん

その10人を選ぶ儀式がセレクションと呼ばれ、毎年新歓コンパの名のもとに飲み会の場で選抜が行われているそうです。

はい、ここからが前の話と繋がっていて、選ばれし10人のうち

3人がイケメン(鴨の餌)

3人がテニスうまい(学内の大会要員)

3人が盛り上げ上手・ムードメーカー(飲み会要員)

1人がいじられキャラ

という役割を担うよう選抜されるそうです。

これがねー、よくできてるなと思いましたね。

会社の採用ではもっとマイルドな表現になってるかもしれませんが、あると思うんですよ、いじられキャラ枠。

何が言いたいかというと

キョロ充と真面目系クズこそ大企業を狙え(いじられキャラ枠)

 

こんなのと同じ社会で暮らしたくない


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131003-OYT1T01163.htm

すごく嫌。
こんな連中が未成年だってだけで名前は報道されず、ろくに刑罰は受けず、少ししたら出所しちゃうってことが。
この事件に限らず人一人殺したくらいでは死刑にはならない現代日本。

ってことは、他人に対して、殺すほど残虐な行いをできてしまう、または実際に行った人間が我々と同じ社会で暮らしてるってこと。
それが嫌。たまらなく嫌。

もしかしたら、家の前の道を工事してる土方の兄ちゃんはかつて人一人殺してるかもしれない。いつも行くコンビニのバイト店員は人殺しかもしれない。隣人さんは実は遊びで人を嬲り殺したことがあるかもしれない。

別に、そうかもしれないって見ず知らずの人を疑ってるってわけではなくて、そういうことが起こりえてしまう社会?(環境?法律?)が嫌。

もっと社会は悪意に対して厳しくなって欲しい。
仮にこういう連中に何らかの罰がくだったとして、こいつらが更生すると思う人なんかいるの?
いや更生が何を意味するのかわからんけど。
つか本当は、更生しようが反省しようが後悔しようがどうでもよくて、こいつらと同じ空気を吸いたくない。他人に対する悪意をここまで形にできてしまった時点で無理。

現状で望むことはこいつらが死刑になることだけど、無理だよね。残念
まあ死刑が重すぎてダメって言うなら、死刑ほど重くはなく、しかしこういう連中を確実に隔離できるような新しい処罰方法の制定を望む次第です。島流しとか

隔世の感

げんしけんの初代から二代目にかけて

初代ではオタク趣味を持っていることに対する引け目を笹原が感じてるような描写があった気がするんだけど、二代目ではそういうのが全く感じられませんね。

劇中の時間は連続してるはずなのに、オタクを取り巻く環境はかなり進んで現在のそれと同じになってるようですね。

初代と二代目でげんしけんのサークル内の雰囲気はかなり変わってしまったけど、あんな学生生活を送りたかったなあと思わざるを得ない学生生活最後の夏休み

一時間後の最終回楽しみです

my 2 cents

英語の勉強をしています。利用している英語のサイトで昨日知ったフレーズがタイトルの "my 2 cents" です。

これ、直訳すると「私の2セント」という意味ですが、意味するところは自分の意見・考えのことです。

2セントという大したことのない金額を自分の意見に例えることで、これは単なる私の意見であって他の人は異なる考えを持っているかもしれないけど、というようなニュアンスがあるらしいです。

This is just my two cents.

のように使われるそうです。

相手の意見と自分の意見が違うことを積極的に許容する姿勢が外国っぽいなと思いました。

 

以下、このブログに書く事は全てmy 2 centsです。